健康産業がある、福祉も、介護も、医療もある意味で健康に関係している!健康って言葉が氾濫している。
これらの業界では健康は至上価値を有するものであり、それは、客観的、物理的に特定できる疾病や障害がないということに他ならない。
そして、健康になるためにも、客観的、科学的な根拠に基づき、生理学的、栄養学的な規則に従わなければならないとする。
わたしは、この考えに少々違和感を感じている。もちろん、革命や正義や信念のために健康どころか一命を賭けて戦い、散っていくという極端な事例だけをいっているのではないが・・・
健康は確かに大切だが、至上価値か?また健康になるための規則は一律であるのか?
三木清曰く、『誰も他人の身代わりに健康になることができぬ、また誰も自分の身代わりに健康になることができぬ、健康は全く銘々のものである。』
『かように健康は個性的なものであるとすれば、健康についての規則は人間的個性に関する規則と異ならないことにあるであろう。』
『即ち先ず自己の個性を発見すること、その個性に忠実であること、そしてその個性を形成していくことである。』
一律に、安易に、「こうすれば、健康になれる!」「こうしなければ病気になる・・・」等々と言うのは簡単だが、それでは、すまないことも多々ある。
健康ということが個性に関連し、その個性の形成というのは、その人なりの価値観が反映されているはずだとするならば、健康について、科学的視点だけで捉えるのは問題だろう。
このことは福祉や介護の世界でも問題となっていると思うが・・・例えば、お年寄りの介護を巡り、看護師と相談員等が鋭く対立することがある・・・
『病気や健康は存在判断でなくて価値判断であるとすれば、それは哲学に属することになろう。』
『健康は目的論的観念であるとすれば、そのことによってまさにそれは科学の範囲を脱することになるであろう。』
もちろん、健康について、全く科学的、客観的事実、知識が無駄だというのではない。
ただ、健康については科学の範囲を超える領域もあるということを尊重しなければならないということだ。
健康であって初めて有意義な生活(目的)を送ることができる。
しかし、有意義な生活(目的)のための健康であって、健康(目的)になるための生活(手段)ではないと考える人もいるはずなのだ。